ある七夕
高校の時の友達から「今日散歩しいひん?」と突然ラインが来て、また多摩川へ行った。
自転車をこぎながらお互いに自由に思い思いの事を喋る。あの犬の足の上げ方ディズニーみたいとか、オシロイバナの実を保育園の時つぶして塗ってたとか、スーパーにいってあんず飴は凍らせるとウマい、とかどのジャムが好きかいっせーのせで指差そう、とか小学生みたいなことで盛り上がる。
七夕だったのでサービスカウンターの前に笹があって、自由にお願い事が書けるようになっていた。
それぞれ健康だったり試験合格、子どもが描いたよく分からない絵が飾ってある。
せっかくだから書くか、ということで2人で笹の前に立つ。でもいざ短冊を前にするとお願い事、?と思って固まってしまった。
しばらくして友達は「自分、頼むぞ。」と書いて結んでいた。
私は悩んだ末に「納得できる人生を」と書いて結んだ。
スーパーの端っこの目立たない笹に、無数の短冊に紛れて私たちの願いが揺れていた。それは願いというよりも、どちらかというと自分たちに対する誓いに近かったと思う。
結局アイスを買って、スーパーに自転車を停めて川まで歩く。空は薄青く雲で覆われていてとても天の川は見えそうになかった。
少し歩いた位置に座ってアイスが溶ける前に食べることに集中する。
どこまでも見渡せるだだっ広い空、夜になる前の空気、水が流れる音。
横に並んで座っているちっぽけな私たち。
何もない場所に行きたいね、と友達が呟く。
なんとなく高校生の時みたいだ、と思った。
あの頃は2人とも東京じゃなく地元にいて、制服を着ていた。放課後の日が落ちる前、海にいって「危険」の看板の先で永遠に話していた。
その時も、この感情は忘れてしまうのかな、って話をしていて、寂しさと時間の無情さと私たちの小ささと世界の広さについて話していた。
あと一年も経たずに学生は終わって、私たちのモラトリアムも終わるのだろうか。
今の宙ぶらりんのうちにフッと消えたいね、って言う話と当たり前の幸せと生活に感謝しながら大人になっていきたいね、っていう相反する感情。
きっと私たちはまだ何も知らないんだろうな。