部屋に明るい午後の光が充満して

遠くに電車の音が聞こえる

 

自分の中のよくわからない混沌を、よくわからないまま抱えてきて

それをひとつずつ、手をかけて消化させたり忘れたりその時がくるまで取っておいたりした

 

楽しい出来事の最中にいるときは、それが終わる時のことを想像して悲しくなってしまう

でも振り返ってみると、その時の思い出が今の自分を生かしていることに気づく

 

自分の弱さもここまで来て、やっと受け入れてあげられるようになった

長い時間がかかった

無理させてごめんね

 

 

夢のなかのまどろみに満ちた部屋は、この章を閉じるのにぴったりだ

遠くに霞んでいた幼い自分の像と、ようやく今ひとつになれた気がした

 

 

 

 

さよなら

 

先々週、終了する間際に彼氏とムンク展へ行った。

一番有名な「叫び」はもちろんよかったけれど、それ以上に「接吻」の絵が印象に残った。

薄暗い部屋で女性が男性の首に手を回し、抱き合う形でキスしている。

男女の目や口は描かれておらず、二人の顔の輪郭が溶け合う形で混ざり合っている。

 

解説では、「ムンクは、女性が恋愛において自身の欲望を満たす為に男性を支配する存在であることを表現している」と書かれていた。

なるほどね。と思った。その通りだよムンク

 

 

過去のことを話します。

 

私はからっぽであるという感覚が高校生くらいの頃からずっと抜けなかった。

そのことに対して虚無を感じることもあれば、何にも染まらずに同化できて楽だなと思うこともあった。

 

ただ、大学に入学してから地元の限られたコミュニティとは違う様々な人と出会い、しばらくして、たくさんのコンプレックスが襲ってきた。

それを解決する手段として、自ら能動的に動いて自分自身に知識やスキルを身につけ、自信に変えていくことが一番まともで正しいやり方だと頭では理解していた。

でも私はそのコンプレックスを解決する方法として、自分に持ってないものを持っている男を惚れされることで支配し、解消しようとしてしまった。からっぽの感覚が根底にあり、その不完全な部分を早急に埋められるような別ルートの人生を欲していた。

 

そうして、はちゃめちゃな交友関係が始まった。

学歴に関しては東大、早慶の男を狙い、しばらくして頭良いイコール人間として尊敬できるとは違うなと気がついた途端、社会的な身分が高いと言われている弁護士や経営者といった人間にシフトチェンジした。それも、自分では手に入らないような人生の物語を疑似体験するためだった。

何人か面白い人もいて、自分の努力でそこまで登って行った人は凄いしもちろんその人の才もあったけれど、今その立場にいるのは実家のお金持ち度が大きなウェイトを占めることも薄々と理解し、こんなの結局運ゲー格差社会じゃん。と思ってどうしようもない気持ちになった。総じてプライドが高い彼らに、自己責任で一蹴される弱い人の気持ちってわかるのかなあと、若い無知な少女のフリをしながら思っていた。

 

次第に、思い返せばかなり最悪なことだけど、向こうから二回会いたいと言わせたらそのタイプに対して攻略済みのチェックマークがつくようになっていた。初めから遊ばれていたとしても、一度体を許したら立場が逆転する可能性があることがわかっていたので、それは断じて拒否し続けた。

自分の容姿に関するコンプレックスは、顔立ちと立ち振舞いで女の子が自然と寄ってくる、いわゆるモテるタイプの人間で解消した。多分私は人と感覚が少しずれていて正統派のイケメンには惹かれなかったこと、そしてそこから来る適当な反応によって成り立っていたと思う。その中の一人とは結構長く続き、確かに綺麗な骨格と顔立ちをしているなぁとまじまじ見ることも多かった。けれどどこまで掘っても会話が浅く、そのうち彼が得体の知れない何者かに思えてぞっとしてしまった。

 

だんだんと私は疲れていった。美味しいご飯を食べても感覚がなく、周りから賞賛される肩書きや地位を持っている人に対しても自分が色眼鏡をかけていた部分が大きかったと分かり、作業的にこなし若さを消費し続けるこの行為に意味はあるのかと問い始めた。

そして、からっぽな自分にさらに磨きがかかった代わりに様々な仮面が生まれ、ナメられないようにと無駄な鎧をまとっていった。

その仮面を相手のタイプに合わせて使い分けていくうちに、どの自分が正しくて本当なのかさっぱり判断できなくなっていた。

 

 

 

もうこんな事やめようと思いを決めつつも、ぐずぐずと引き伸ばしていた頃にたまたま美大生の彼と知り合った。

昔からデザインや抽象的なものに惹かれる事もあって、いいな、アートは。いろいろと直接的に訴えかけてくるものとは自由だもんな、と思った。彼も整った顔立ちをしていたけれど、しかし精神的に疲労していた私は普通に彼とは友達として仲良くなるつもりだった。

 

だけど、前も言った通り彼のポートフォリオを見せてもらった瞬間、うそでしょ、と思った。私と同い年で目の前でニコニコしている華奢な彼が、一瞬で人を引き込むようなこれらの写真や作品を作ったなんて信じられなかった。

実際に彼は大学のパンフレットにも作品が掲載されるような優等生だった。

そこからは多分、私の方が彼に取り憑かれていった。

 

不思議と初めから会話がなくても心地よく、波長が合うってこういうことかと肌で感じた。私のいつもの仮面は登場せず、肩の凝る鎧が外され身軽でいた。

 

彼は日常の中の光を見つけることが得意で、世界を眼差す瞳は冬の日の空気のようにつめたく澄んで透明だった。

 

二人で出かけた場所はどこも現実離れしていた。平日お昼の美術館、ビルに潜入して見た夕日と運河、月が見える銀座の隠れ家、高くそびえる巨大な貨物、黙って歩いた夜の多摩川。なぜかいつも満月で、まるく大きく光る月が、その明るさとは対照的に黙って私たちを見ていた。私はなんども月と目が合って、全て見透かされている気がした。

私と彼は波長が似ているからこそ、ずっと一緒にいると違う人生を歩む彼が羨ましくなることは分かっていた。そしてその才能や純度の高い瞳に対してきっと私は耐えられない。

 

だから彼に思いを告げられても、断って正解だったとやはり思う。私の滅茶苦茶な言動から絶対に他者には理解してもらえないだろうけど、結局私は長く続いている彼氏のことが大好きだった。

 

 

 

 

この前、美大に卒業制作を見に行った。

彼は映像と、写真を組み込んだ冊子を作成していた。空間自体から作り込まれていて、彼の目を通して見る世界をそのまま感じることができた。

 

 

決して特別ではない、些細な日常の映像

撮っている対象はなんてことはない都市の風景や森や花や行き交う人々なのに、そのどれもが心の奥底にある記憶と触れて線を結ぶような、体験したことはないのに懐かしさに目を細めてしまうような 

静かで、言葉や意味の前にある本質に近いものが表されていた

そしてそれは等しく私の心も揺り動かした。

 

 

映像を見ながらひっそり泣いた。彼の見ている世界はなんて繊細で美しいんだろうかと思った。

その様子に気づいた彼は、私に一言「ありがとうね。」とだけ声をかけてくれた。

 

 

 

後から、PDFで冊子のデータを送ってもらった。

膨大なページの中に数枚、一緒に行った場所と、私のカメラを構える手、そして光に照らされた私のシルエットの写真が入っていた。

 

 

私はきっと、彼のように多くの者に影響を与える人にはなれないだろう。

ただ、これまで関わってきたけれど混じり合わなかった何人かの人生、そして彼。

その中に私という存在が刻み込まれ、記憶のどこかに引っかかって息をし続け、その人の人生を構成していくのならば、それは私なりの生きていた証なんだと思う。

 

彼の透明な眼差しの中で、作品を形作る1ページとして残ることができて、本当に幸せだった。

 

 

 

 

 

 

宛名のない下書き

悲しい出来事も嬉しい出来事も、 電車から見る外の景色のように流れていく


自分の腕は白くて細くて世界一綺麗だなぁと心を無にして思うけどなくなりたいんだよ本当は身体を無くしてしまいたい
薄青い常夜灯に向かって伸ばした自分の腕
真逆の行為で自己が失われる
自分の身体があって若い肉体があって意思があって人間という形を作っている
形を認識した他者が入ってくる
そのことによって自分の輪郭をありありと実感する
とことんすべてを許し合い一緒になれた場合は逆のことが起こりうるのかもしれない
境界線を溶かして一体になれたことがないこの世と1つになれたことがない


ベットサイドに置いたコップ一杯の水が身体の中央をつつつと流れ落ちる
電車の音が遠くで聞こえる深夜1時
つま先からさらさらになる想像をする
昔海辺にいた私と今の私は本当に同じなのか
泣いている水と海の水はほんとうにおなじなのか

上手く言葉にすることはできない宇宙の大きさを説明できないようにこの涙を説明することはできない
ただ私は人間の醜さを思って泣く訳もなく
人間のいや私がどうしても自然に還れないことを思って泣く
身体と存在を持っている限りこの悲しみは果てることが無い
破壊と生成との工事現場生きていることと死との一体
月のみちかけと水の流れと夜の長さを思って安心して目を閉じた

全てのことには意味がある

人生には、すぐに分かることと時間が経ってから分かることがある。

 

 

生け花の先生に、「どう生けたら素敵かみたいな審美眼って、どうしたら身につくんですかね」と尋ねた。

先生はただ一言、

「それはね、お稽古あるのみよ。何事もそう。続けていくうちにスッと分かる時がくるの」

と答えた。それがなかなか、何年経っても難しいんだけどね〜と付け加えながら。

 

 

辛くて苦しい時もある一点を超えると、急に視界が開けたように意味がすんなりと理解できることがある。

または、全てのことが繋がったような感覚になる。

そういう感覚は、人生において何回か訪れる。大抵は大事な節目の時に。

 

 

今がきっとその時だと思う。

学生生活が終わろうとしている時に色々な思いもよらないことが重なって、正直どうして今、と思う。でもきっと、何か意味があるんだと思う。今は向き合うべき時なんだと思う。

 

 

ひとつのことを最後までやりきったと言えるほどにやり遂げること。それはきっと今後の自信に繋がる。

 

親しい人と一度本気でぶつかること。笑顔を貼り付けて誰からにも嫌われないように生きるのは楽だけど、それは本質的なことをたくさん取りこぼしながら生きている。

 

大切な人を支えられる強さを手に入れること。

私は今までずっと大人ってなんだ、色々なことを忘れて社会に染まるのが大人なら学生のうちに消えて無くなりたいと思っていた。

ただ、人と話していて最近スッと視界が開けたような感覚、そして全てが繋がったような感覚に陥った。

自分のことしか見えていない視点から一歩外に出て、陳腐な言葉だけどたくさんの人に支えられていることに気づき、それを返そうと自然に思えることが、大人。私が8年近く考え続けてようやく出した答えのひとつだ。

 

 

 

世界は自分の見えている範囲と知識でしか見れない意外と狭いものだけど、せっかくならその世界を広げるためにニュートラルでいつつ、曇りのない透き通った目でいたいものですね

 

 

 

 

贅沢

年の瀬から年が明けて3が日まで、母が東京に来ていた。

忘れないためにここに書いて残しておく。

 

 

晦日

夕日に照らされながら並んでバスを待つ人達が眩しくて、思わず写真に収めていたら「何撮ってんの」と聞かれた。

返事をすると「あんたは独特の感性よね。お母さんにはわからないけど写真上手いしいいじゃない」とさらっと褒めてくれた。

親バカなのかもしれないけど、何気なしに褒めてくれることが結構嬉しかったりする。

「お母さんは完璧主義者だからやることを決めてそれに追われちゃうけど、あんたのその気ままでタフに生きてる感じ羨ましいわ。」とか、

紅白を見ながら「本読むし作詞とかしたらいいのに。やってみなさいよ。それで印税で暮らしなよ」とか、現実味も含めて話すから面白い。

 

 

年越し蕎麦を茹で、お酒と作ったご馳走を並べ、久しぶりに紅白を見る。

「2018年振り返ってみると就活とか辛いことも多くて二度とやりたくないけど、でも辛い時ほどいろんな人に支えられてたんだなあって気づけたな。母もそうだよ、ありがとう」

とテレビの方を見ながらいうと「そんなこと言われたら泣きそうよ〜」とすでに少し涙ぐみながら言っていた。

年越しの神社にもパーティーにも行かず派手ではないけど、平和な日本の大晦日って感じがして満ち足りた気分で年を越した。よかったな。

 

 

 

3が日

「穏やかな日だね」と会話をしながらお餅を食べる元日の朝。

テーブルの上には私が生けたお正月のお花が飾られていた。

でもなぜか別の場所に飾っていた花も一つの花瓶にまとまられ、組み合わせを無視してぎゅうぎゅうに詰められていた。笑いながらなんでそんなことするのかと聞くと

「だって掃除するとき邪魔だっただもん。いいでしょこれも華やかで」と返された。

豪快。

 

 

初詣に出かけると着物を着たおじいさんや女の人がいて、憧れる。

元日のような特別な日にパシッと着物を着こなせていると、気持ちも晴れるし側から見ていてもとても格好いい。

将来ああなりたいと母に伝えると、「素敵よね〜でもね、汚したら大変だしクリーニング代だけで馬鹿にならないのよ。あんたできる?ちゃんと」と返され、拍子抜けだけどそうだよな〜こういうこと教えてくれるのって母しかいないもんな〜〜と思う。

 

 

お正月セールを言い分にして、また服やカバンやピアス、家電などを買ってもらう。

「買いすぎだってわかってるけどね。でも彼氏があんたに色々買ってあげたくなっちゃうの分かるわ。似合うしあげる方も楽しいのよね」

と言っていて、私はそれがどういう心情か理解できなかったけど、まぁこっちからしたら都合いいので「なるほどね。」と返事になっていない言葉を返す。

 

 

日比谷や伊勢丹を歩いていると洗練された美人が多い。

年をとっていても品の良さがにじみ出ていたり、若い大人の女性もヒールを履きこなして背筋を伸ばし、さっさっと歩く様子が素敵で目の保養になる。

昔の私は美人をみると卑屈になっていた。見た目の良し悪しは相対評価だと思っていて、可愛い人をみると自分と比べて落ち込んでいた。

でも今は、素敵だな、もっと自分も磨いて頑張ろうという気持ちに、素直になれるから成長した。

それはたぶん容姿や人間性を認めてくれる人が増えたこと、またその言葉の裏を読もうと斜に構えすぎず、褒め言葉は言葉のまま素直に受け取ろうと思えるようになったのも影響している。

気持ちの持ちようと自信が一番人を魅力的に見せるんだろうな。

 

 

3日に自転車で近所を散策した。

澄み切った青くて広い冬空の下で、信号が変わるのを待ちながら

「去年は二人とも健康で色々なところ行けてよかったね。」

「心身、ともに健康が一番よ。お母さんはもうそれ以外何もいらないわ」

と話した。

よく友達親子はどうのこうのと言われるけど、私は高校卒業までの家にいた期間はどちらかといえば厳しく育てられた方だ。

でもやっぱり子供も、親も一度離れてみることで分かることがあると思う。

位置的にも心情的にもいい距離感だから仲良く出かけられるまでになったんだろうな。

私が学生だからできたことで、働いたり結婚したらまた変わってくるんでしょう。変わっていくことに寂しさを少し感じるけど、せっかくなら受け入れながらいきたいね。

 

 

「ずっと外食が多かったけど、結局は家で食べる素朴なご飯が一番美味しいのよね」

という言葉、真理。当たり前のことが実は一番しあわせで、贅沢だ。

 

お兄ちゃんとの日々

12月23日は街全体がどこかそわそわしていて、光に照らされた人の顔がうっすらと高揚していて好きだ。思わず寄り道してしまう。

 

 

一緒に暮らしているお兄ちゃんに夕食を作るため、スーパーでチキンのための鳥もも肉とサラダの野菜、そして2人分のエビスビールを買って帰った。

といっても今日で多分最後だ。お兄ちゃんは私の大学入学と同時に東京転勤が決まって一緒に部屋を借りて住み、そして私が卒業するタイミングで偶然転職が決まり家を出る。

 

私たちは6つ年が離れているからか、仲がいい。お互いにちょうどいい距離感で干渉しすぎず、暮らす上で決めたルールを大切に守り、時々「今日家にいる?」とラインして二人で飲みに出かけた。

東京で一緒に暮らしていなければ、成人した後兄弟でお酒を飲むなんてことなかっただろうと思うと、人生におけるタイミングってつくづく不思議だと思う。

 

 

引っ越し業者から送られてきたダンボールが山積みになったままの部屋で、私が料理したクリスマスディナーなるものを並べ、缶のプルタブを開ける。お兄ちゃんは12月25日に新しい家に越す予定になっている。

「4年間、あっという間だったね。」

「まあな。人生は刹那の連続っていうからな。」

 

今日がこの家で二人で食べる最後の夕食だ、と思ったけどなんとなく言わなかった。

言ってしまうと空白の感覚に襲われる気もしたし、反対になんだか感傷的になりすぎる気もした。

 

 

一通り食べ終わった後、片付けをしているお兄ちゃんの部屋から出てきた卒アルを眺めて、若い、とかこの子は今結婚して…とかあーだこーだ言い合っていた。節目にこうして思い出を振り返っているの、卒アルの正しい使い方なのでは。

 

クリスマスイブ前日の暖かい夜の中、積まれたダンボールを机にしながら兄弟でこうして過ごしていたことを、いつか懐かしく幸せな記憶として思い出すんだろうな。

その瞬間がものすごく尊いものに思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間らしい生活

障害者が共同生活を送るグループホームで、夜勤のバイトをしている。

 

 

男性2人、女性3人。建物は今年出来たばかりで最新家電が揃い、すごく綺麗(テラスハウスみたい)。私は夜9時から泊まって朝ごはんを作り、朝の8時半ごろ帰る。

夜勤といえど22時ぐらいから自分の時間だし、非常時を別にして寝ていいと言われているので普通に眠りながらお金を稼ぐ。

 

初めは別のグループホームでやっていた友達からその話を聞いていて、なんだその夢のようなバイト。と思ってパソコンで探したところ丁度ヒットし、かれこれ3ヶ月くらい働いている。

正直その甘さに惹かれて始めたけど、めちゃめちゃ社会勉強になるし面白い。みんな軽度だから普通に仕事に行くし読み書きも出来、会話も成り立つ。

 

 

多重人格みたいにたまに一人でお話ししちゃう女の人は、私が作る朝ごはんに「美味しいなぁ〜世界一だよ!」と言ってくれたり、用事があって休む人がいると「1日でもいないの寂しいなぁ。私は〜〜さんのこと大好きだからね。友達がいなくなるのはさみしいよ」とか、感情表現がすごい。とにかく恥ずかしがらずに褒めてくれるからみんな幸せになる。

家族の話もたくさんしてくれる。昔行った旅行の話、お兄ちゃんの話、亡くなってしまったお父さんの話。お母さんを悲しませたくないとよく話す。

 

対照的に上手く話せない人も、コーヒーを毎朝淹れてくれる入居者の方に「いつも、ありがとうね」とすごく優しい声で言ったり、男性だけど丁寧におりがみで指輪を作ったりする。彼は濁りのない透明な目をしている。

 

もうひとりの知能に遅れがある女性は、動きの効果音が多くて「てってって」とか「ぬふふ」「へへへ」とか言いながら動く。正しい言い方が分からないけど、キャラクターみたいだ。

私が棚に頭を思いっきりぶつけた時は、かけ寄ってきて「よしよし。なでなで。」といいながら頭を撫でてくれ、仕事で落ち込んでいた入居者に対しては「おいで」といいながら手を広げ、むぎゅっと抱きついていた。 

ある日お部屋に手招きされて呼ばれ、「なんですか〜」と返事をしながら行くとプランターから育てていた野菜の芽がぴよっと出ていた。

「わ!ついに芽が出たんですね〜」と私が言うといつのまにか後ろに居た別の入居者が「できたら夕飯にしてみんなで食べようね!」と言う。この世にこんな平和な空間があるのか。

 

 

 

人間らしい生活ってなんやろな。と思う。

障害者の雇用される場所は、パン屋さんとかを除いて大体は、単純作業の所が多い。ビルの清掃だったりひたすらホチキスを留める事務だったり、トマトのヘタを取り続ける食品工場など。

 

それを行なっている人がいるから社会が成り立ってる訳だけど、「やっぱりもっと調理に近いことがしたいんです」とか「今日はいつもと違う、冊子の封入を任された!」って嬉しそうに話しているのを聞くと、なんだか胸がキュッとなる。うまく言葉に出来ないけど。

 

無理して健常者と変わらない「普通」として接してしまうのは危険だ。差異をスルーして同一視してしまうのはあまりに単純化しすぎている。

でも働いていて分かったのは障害の程度にもよると思うけど、障害者は健常者と「変わらない」感情や考えを持っているということだ。むしろ私たちが普段人の目線や見栄とかを気にして飲み込み、隠してしまった部分を、素直に表現しているだけなんじゃないのかな。

健常者とは違うけど、全く未知のものでも理解できない存在でもなくて、むしろこれが人間の本来の姿なんじゃないかなぁとか考えた。

 

雇用されて働いているだけマシってことなのかな。 少なくても、本人達にとって社会参加出来ている実感が持てるような仕事が出来たらいいなと思う。