人間らしい生活

障害者が共同生活を送るグループホームで、夜勤のバイトをしている。

 

 

男性2人、女性3人。建物は今年出来たばかりで最新家電が揃い、すごく綺麗(テラスハウスみたい)。私は夜9時から泊まって朝ごはんを作り、朝の8時半ごろ帰る。

夜勤といえど22時ぐらいから自分の時間だし、非常時を別にして寝ていいと言われているので普通に眠りながらお金を稼ぐ。

 

初めは別のグループホームでやっていた友達からその話を聞いていて、なんだその夢のようなバイト。と思ってパソコンで探したところ丁度ヒットし、かれこれ3ヶ月くらい働いている。

正直その甘さに惹かれて始めたけど、めちゃめちゃ社会勉強になるし面白い。みんな軽度だから普通に仕事に行くし読み書きも出来、会話も成り立つ。

 

 

多重人格みたいにたまに一人でお話ししちゃう女の人は、私が作る朝ごはんに「美味しいなぁ〜世界一だよ!」と言ってくれたり、用事があって休む人がいると「1日でもいないの寂しいなぁ。私は〜〜さんのこと大好きだからね。友達がいなくなるのはさみしいよ」とか、感情表現がすごい。とにかく恥ずかしがらずに褒めてくれるからみんな幸せになる。

家族の話もたくさんしてくれる。昔行った旅行の話、お兄ちゃんの話、亡くなってしまったお父さんの話。お母さんを悲しませたくないとよく話す。

 

対照的に上手く話せない人も、コーヒーを毎朝淹れてくれる入居者の方に「いつも、ありがとうね」とすごく優しい声で言ったり、男性だけど丁寧におりがみで指輪を作ったりする。彼は濁りのない透明な目をしている。

 

もうひとりの知能に遅れがある女性は、動きの効果音が多くて「てってって」とか「ぬふふ」「へへへ」とか言いながら動く。正しい言い方が分からないけど、キャラクターみたいだ。

私が棚に頭を思いっきりぶつけた時は、かけ寄ってきて「よしよし。なでなで。」といいながら頭を撫でてくれ、仕事で落ち込んでいた入居者に対しては「おいで」といいながら手を広げ、むぎゅっと抱きついていた。 

ある日お部屋に手招きされて呼ばれ、「なんですか〜」と返事をしながら行くとプランターから育てていた野菜の芽がぴよっと出ていた。

「わ!ついに芽が出たんですね〜」と私が言うといつのまにか後ろに居た別の入居者が「できたら夕飯にしてみんなで食べようね!」と言う。この世にこんな平和な空間があるのか。

 

 

 

人間らしい生活ってなんやろな。と思う。

障害者の雇用される場所は、パン屋さんとかを除いて大体は、単純作業の所が多い。ビルの清掃だったりひたすらホチキスを留める事務だったり、トマトのヘタを取り続ける食品工場など。

 

それを行なっている人がいるから社会が成り立ってる訳だけど、「やっぱりもっと調理に近いことがしたいんです」とか「今日はいつもと違う、冊子の封入を任された!」って嬉しそうに話しているのを聞くと、なんだか胸がキュッとなる。うまく言葉に出来ないけど。

 

無理して健常者と変わらない「普通」として接してしまうのは危険だ。差異をスルーして同一視してしまうのはあまりに単純化しすぎている。

でも働いていて分かったのは障害の程度にもよると思うけど、障害者は健常者と「変わらない」感情や考えを持っているということだ。むしろ私たちが普段人の目線や見栄とかを気にして飲み込み、隠してしまった部分を、素直に表現しているだけなんじゃないのかな。

健常者とは違うけど、全く未知のものでも理解できない存在でもなくて、むしろこれが人間の本来の姿なんじゃないかなぁとか考えた。

 

雇用されて働いているだけマシってことなのかな。 少なくても、本人達にとって社会参加出来ている実感が持てるような仕事が出来たらいいなと思う。