贅沢

年の瀬から年が明けて3が日まで、母が東京に来ていた。

忘れないためにここに書いて残しておく。

 

 

晦日

夕日に照らされながら並んでバスを待つ人達が眩しくて、思わず写真に収めていたら「何撮ってんの」と聞かれた。

返事をすると「あんたは独特の感性よね。お母さんにはわからないけど写真上手いしいいじゃない」とさらっと褒めてくれた。

親バカなのかもしれないけど、何気なしに褒めてくれることが結構嬉しかったりする。

「お母さんは完璧主義者だからやることを決めてそれに追われちゃうけど、あんたのその気ままでタフに生きてる感じ羨ましいわ。」とか、

紅白を見ながら「本読むし作詞とかしたらいいのに。やってみなさいよ。それで印税で暮らしなよ」とか、現実味も含めて話すから面白い。

 

 

年越し蕎麦を茹で、お酒と作ったご馳走を並べ、久しぶりに紅白を見る。

「2018年振り返ってみると就活とか辛いことも多くて二度とやりたくないけど、でも辛い時ほどいろんな人に支えられてたんだなあって気づけたな。母もそうだよ、ありがとう」

とテレビの方を見ながらいうと「そんなこと言われたら泣きそうよ〜」とすでに少し涙ぐみながら言っていた。

年越しの神社にもパーティーにも行かず派手ではないけど、平和な日本の大晦日って感じがして満ち足りた気分で年を越した。よかったな。

 

 

 

3が日

「穏やかな日だね」と会話をしながらお餅を食べる元日の朝。

テーブルの上には私が生けたお正月のお花が飾られていた。

でもなぜか別の場所に飾っていた花も一つの花瓶にまとまられ、組み合わせを無視してぎゅうぎゅうに詰められていた。笑いながらなんでそんなことするのかと聞くと

「だって掃除するとき邪魔だっただもん。いいでしょこれも華やかで」と返された。

豪快。

 

 

初詣に出かけると着物を着たおじいさんや女の人がいて、憧れる。

元日のような特別な日にパシッと着物を着こなせていると、気持ちも晴れるし側から見ていてもとても格好いい。

将来ああなりたいと母に伝えると、「素敵よね〜でもね、汚したら大変だしクリーニング代だけで馬鹿にならないのよ。あんたできる?ちゃんと」と返され、拍子抜けだけどそうだよな〜こういうこと教えてくれるのって母しかいないもんな〜〜と思う。

 

 

お正月セールを言い分にして、また服やカバンやピアス、家電などを買ってもらう。

「買いすぎだってわかってるけどね。でも彼氏があんたに色々買ってあげたくなっちゃうの分かるわ。似合うしあげる方も楽しいのよね」

と言っていて、私はそれがどういう心情か理解できなかったけど、まぁこっちからしたら都合いいので「なるほどね。」と返事になっていない言葉を返す。

 

 

日比谷や伊勢丹を歩いていると洗練された美人が多い。

年をとっていても品の良さがにじみ出ていたり、若い大人の女性もヒールを履きこなして背筋を伸ばし、さっさっと歩く様子が素敵で目の保養になる。

昔の私は美人をみると卑屈になっていた。見た目の良し悪しは相対評価だと思っていて、可愛い人をみると自分と比べて落ち込んでいた。

でも今は、素敵だな、もっと自分も磨いて頑張ろうという気持ちに、素直になれるから成長した。

それはたぶん容姿や人間性を認めてくれる人が増えたこと、またその言葉の裏を読もうと斜に構えすぎず、褒め言葉は言葉のまま素直に受け取ろうと思えるようになったのも影響している。

気持ちの持ちようと自信が一番人を魅力的に見せるんだろうな。

 

 

3日に自転車で近所を散策した。

澄み切った青くて広い冬空の下で、信号が変わるのを待ちながら

「去年は二人とも健康で色々なところ行けてよかったね。」

「心身、ともに健康が一番よ。お母さんはもうそれ以外何もいらないわ」

と話した。

よく友達親子はどうのこうのと言われるけど、私は高校卒業までの家にいた期間はどちらかといえば厳しく育てられた方だ。

でもやっぱり子供も、親も一度離れてみることで分かることがあると思う。

位置的にも心情的にもいい距離感だから仲良く出かけられるまでになったんだろうな。

私が学生だからできたことで、働いたり結婚したらまた変わってくるんでしょう。変わっていくことに寂しさを少し感じるけど、せっかくなら受け入れながらいきたいね。

 

 

「ずっと外食が多かったけど、結局は家で食べる素朴なご飯が一番美味しいのよね」

という言葉、真理。当たり前のことが実は一番しあわせで、贅沢だ。