実在した夏

全ての季節の中で夏だけが終わる

今年は平成最後の、とか学生最後の、とか色々あるけど私にとっては最後のモラトリアムの夏だったと思う。

 

私が7月の初めに書いた記事で、今年は落ち着いてまともになりたい、でも若さを使い果たしてしまい気もする みたいな事を書いていた。

 

今年は海もプールもひまわり畑もフェスも行って、遠くへの旅行や彼氏と浴衣を着て花火大会、帰省しておばあちゃん家でスイカを食べ、夏祭りも行った。会いたかった高校の友達や気になって話してみたかった女の子とも連絡を取って会うことができて、全てを制覇した、そんな満足感がある。

いろんな人と撮った笑顔の写真を見ながら、後ろめたさ無しに、今年の夏を少しのノスタルジーと一緒に終えられるなぁと思った。

 

 

そんな感じで、今年は落ち着いていた。いつかの夏のように、フィッシュマンズを聴きながら徘徊してひたすらに消えたくなったり徐々に大人になって単純になって行くことへ耐えきれず夜中にひたすら泣きじゃくったりするような不安定な気持ちになることは少なかった。

 

大学生の怠惰をなぞるように早稲田のクズ男の家に転がり込んだ2年生の夏。タバコ臭い部屋とヤニのついた壁、足の踏み場のない床、大量の本。氷結とかアホみたいな酒をたくさん飲んでお互い汗でベタついた身体をくっつけながらキスして、飽きたらラーメンを食べに行くか近くのゲーセンで脱衣麻雀をしてるのを見て、完全に頭の弱いアホ女な自分を楽しんでいた。

どっかの有名な企業のトップの人とは何回か六本木辺りでご飯食べて、リッツカールトンのバーとか知り合いが経営してる麻布十番にあるお店に連れて行ってもらっていた。その時はよく清楚だよね、お嬢様みたいと言われていて他の堕落した自分を見せたらどう思うのだろうかと考えていた。クズ男とは何回もするくせに一度に何万もする料理を食べさせてくれる人とは手さえ繋がせない自分。

 

同じコミュニティとは関係を持ちたくなかったので、頭のいい男の子をtinderでよく引っ掛けてひたすら夢中にさせる遊びをしていた。私は色々な人生を体感して、色々な自分にカメレオンのように変化することを楽しんで、でも相手のことが大体理解できるとすぐ飽きてしまった。

結果的によく向こうをはちゃめちゃにさせ、嘘でもいいから好きって言って、彼氏いるって知って俺マジで悲しい、もう会えないって言われてから本当にご飯が喉を通らない、僕のファムファタルになって、とか言われそのたびにまたやってしまった、という気持ちになった。

○○は可愛くて話合うし他の女の子とは違うよね と嬉しそうに言われた時、

あなた達に見せてるのは全部合わせて作り出した幻想だよ、と思って勝手に失望した。

 

 

性欲を埋めるためでも自己肯定を求めていた訳でもない。色々な自分を演じることで実体のない、記憶の中の女の子になりたかった。

いつも危うくふらふらしてて、ふと気がついたら居なくなってしまうような存在になりたかった。

 

いくら褒められても疑って真に受け取れなかったけど、「○○ってなんか不思議と懐かしい感じする。エモいよね。」と言われたとき素直に嬉しくて、なんかもういいかな。彼氏の側に戻って何も知らずににこにこしていたいな。と思った。

 

 

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最近田舎の実家に帰った。
家の前でまだみんみんと蝉が鳴いていて、手入れされた草木と小さな可愛いお花が並んでいる。庭に置かれた椅子に座ると青々とした山と広すぎる空、藁葺き屋根の隣の家が奥に見える。トラクターが後ろで走る音を聞きながら、私はパジャマにした中学の時の体操服のままスイカに塩をつけてむしゃむしゃ食べる。これは誰に見せるでもない私の素だろう


海はもうすでに夏とは違った顔を見せていて、落ち着いた波が日の光を反射させてキラキラしていた。波の打ち寄せる音と180°に広がるパノラマの海、目の前を2羽通り過ぎていく白いかもめが、私の意識も遠くへ連れ去っていった。 ずっと遠くの海の上の空気に一体化した私は、これが最後のモラトリアムだろうと何となく感じた。