顔という呪縛

単発のアルバイトで、スタジアムのスタッフをした。

その日はSS席入口にはいるお客さんのチケットを確認するという単純な仕事で、同じSS席前に配置された女の子と2人で、まばらにやってくるお客さんのチケットをひたすら確認していた。

 

途中で若い男4人くらいに「えー可愛いね!」とすごく顔を近づけながら言われて、へへ、ありがとうございます とか少し身体を引き気味にして答えた。

他の違うアルバイトでも「お姉さんが可愛いからもういっこ買ってくね!」と言われ「ホントですかー嬉しいです〜!」みたいな相手が想像するような役を演じたりする。

確かに可愛いと言われて嬉しくないと言ったら嘘になる。ただ、こういうことがあるたびに心に少し黒いもやがかかったような気分になる。

 

今のような相互のコミュニケーションも必要ではない場面で、相手の一瞬の判断によって私は何もしていないのに快の感情を与えたことになる。忙しそうに前を通るビールの売り子さんを見ても自分の若さと可愛さを前面に押し出してカップを減らしていることが分かる。

ただ見た目がもし醜かったとしたら負の感情を与えることになるのだろうか。おじさんに邪険に扱われるかもしれない。売り上げにもつながらず、お店の印象も落ちるかもしれない。自分の力とは何も関係がない地点で。

 

そういった勝手な評価にもやもやする一方で、例えばもし私じゃなくて前のもう1人の女の子だけに可愛いと言っていたらそれはそれで自分はすごく傷つくんだろうなと思うので、私も評価にとらわれているのだ。

 

 

女に生まれた時点で人からの目線、特に男の人の目線に晒され逃げられないことに対して気が遠くなりそうだ。

今自分が頑張って綺麗にしているのは一体誰のためなんだろうか、とたまに思う。仲良くしてる男の子に見た目を褒めてこないという共通点があるのはこういう理由かもしれない。

しかしひねくれているので、彼らももしブサイクだったらサシで飲みに行こうなんて誘わないでしょ、とか心の奥でチラリと思う。

 

人間が海とか山とか星くらいフラットで中立だったらなあ いちいちこんな小さな事で悩まなくて済むのに