選ばなかった方の人生

やりたいことと適性は違うこともある。それが私が就活を通して得た感想。

そうして今の内定先にある程度納得しているのに以前バイトしていた先の飲み会で、言い訳口調であえて冗談っぽく説明してしまった自分に嫌気がさした。

 

後に後輩から

「〜さんは昔、大人になるっていうのは色々なことと折り合いをつけていくことだって言ってたけど、俺はその考えはつまらないと思う」

と言われ、私はそんな事を言っていたのかという驚きと、18歳の男の子の口から発せられたその不純物の無い真っ直ぐな言葉がそのまま直撃で刺さり、固まってしまった。

 

 

私はこれまでの人生において、Bestを目指して結果Betterに落ち着く事が何度かあった。

その度に自分で色々な情報を比較して現実と理想の間を探って、悩んで悩み抜いてその選択肢を選んで来たのに、ふとした時に自分の選択に自信が持てなくなる。

(私は色々と理屈とか世間体とか良いと思われる情報だけを集めて、無理やり納得させようとしているだけなんじゃないか?もう一度Bestを目指してチャレンジしない事は逃げなんじゃないか?これは現状に対する諦めなのか?)

 

そうして何か嫌な事があった時、選ばなかった方の人生を考え現実から逃げてしまう。

それは自分の妄想の中だから、いつだって今いる場所よりも輝いて見える。

自分が求めているものは実はそっちに行かないと手に入らなかったんじゃないかと思って、戻らない距離に対して心臓が手で掴まれたように締め付けられる。

考えること自体がアホらしく、カッコ悪いことは分かっている。そうした後ろ向きの人生と、おさらばして前に進みたいと心の隅っこではいつも思っていた。

 

 

だから私は18歳のあの言葉に対して、自分の為にもちゃんと答えを言わなければいけなかった。

飲み会が終わって家に帰り、なぜか私はぼろぼろと泣きながら使命感に駆られラインを送った。

 

「私の言う折り合いをつけるとは、戦った先で得られた結果を自分で吟味し尽くして、当初とは違くても受け入れていくこと」

「それは諦めるとかとはまた少し違うもので、受け入れて選んだ選択を自分の中の正解に近づけながら生きていくこと」

 

 

 

それは彼にとってはカッコ悪く映るのかもしれない。だけどそれが今、現時点での私の答えだと思った。