青春の終着点

自分の目で見た景色と経験が本物だ、

さわやかな秋の澄んだ空気と頬を撫でる風、視界全てを埋める海の大きさと広さ、どこかで聞こえる船の汽笛の音が町中に響き渡る様子は、実際にその場に立たないと分からない。

 

おじさんに車で案内してもらってる途中、観光地から少し離れて家が多く立ち並ぶ場所で、偶然小さなお神輿が目の前を通った。

行列も2、30人くらいしかいなくて全然大きなものじゃないけど、小さい子供から足袋を履いた青年、何年もやっているのであろう年配の風格あるおじさん達がぞろぞろと、止まっている私たちの車の前を通って坂を登っていく。

 

これはいいものを見た、と思った。

観光者向けにデフォルメされていない、そこに住んでいる人の本物の生活と息遣い。お店の人も手を止めて出てきて、手を叩いたり笑ってる様子を車の後部座席の窓から見ていてなんだか胸がキュッとなった。

 

 

ロープウェイを使わず、おじさんに車で稲佐山の頂上まで連れて行ってもらった。おじさんは私の携帯で写真を何枚か撮ってくれて、明日の約束をして帰った。

 

夜になるにつれてつめたく澄んだ空気、長崎の海と人の生活が見渡せる。人間の営みと対極的な大きくて何もかもを包み込む海。

私はあの穏やかな遠くの海みたいになりたいと思った。もしくはiPhoneでは映らないような淡い青とピンクのグラデーションの空。


陽が沈むまでのほんの一瞬の空と線香花火のように熟れた真っ赤な夕日は、限られた命を燃やしているようで、それが丁度若さの燃えるような日々や混沌と重なった。そこにいる誰もが太陽を見つめていた。
命は誰でも燃えるようだ。


太陽が沈んだのと入れ替わるように瞬く町の夜景。そのあかり全てに人の生活がある。

稲佐山から見た夜景は東京みたいにギラギラしていなくて、宝石みたいに、あるいは星屑みたいにキラキラしていた。

遠くから見たら生活はそれぞれの色で輝いている。人は上から人の生活を眺めて、感動の声を漏らし、写真を撮る。そしてまた山を下り、自分たちもそのあかりのひとつになる。

 

 

車が無いからいけないと諦めていた外海にいけて感無量だった。というかここが一番よかった。「おめえさんは海が好きだもんなあ」と言いながら教会を回ってくれたり所々で車を止めて写真を撮ってくれた。

そしてなにより、遠藤周作文学館から見える景色は天国のようだった。

 

遠藤周作は外海を見て「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」と言ったそうだけど、本当にその通りだと思った。今回のこの旅は全てこの景色を見るために偶然が重なり導かれたようなものだと思った。

港町が見たいという理由で何となく長崎を選んだこと、たまたま一人だったこと、車が無いから無理だと諦めていた外海に偶然出会ったおじさんの車に乗せてもらって来れたこと、館内で誰かが歌う賛美歌が薄く聞こえること、「こんなに水平線が見えるのは珍しい」というおじさんの言葉通り完璧に澄んだ秋晴れと真正面に照る太陽、そしてそこから続くように波に反射し私の方へと伸びる光の道。2羽の鳥が穏やかに宙を旋回し、また遠くへと離れてゆく。

 

すべてがあまりに完全かつ完結していて、帰りの飛行機で私は死ぬんじゃないかとすら考えた。光に包まれ、賛美歌が聞こえる部屋の中でひとり、天国に一番近い場所があるとしたらこの長崎だと思った。

 

 

最終日は空港までのバスを待つ時間、駅にほど近いけど小さな、地元の人がたくさん来るようなお店で皿うどんを食べた。店内も狭いし店員さんもホールは2人しかいないのにお客さんは常に3、4人並んでいて大人気だな〜と並びながら感心していた。

でもその理由も、すぐに分かった。店員のお姉さん2人はテキパキしていて、でも笑顔は絶やさずいい感じの雰囲気。人で賑わっていて地域に愛されるのも納得する。

 

 
相席でいいよっておばあさんが言ってくれて隣に座る。おばあさんの足元に置かれたスーパーの袋からはさっき買ったであろうネギと納豆と食パンが見えて、よく来るんだろうなー。と思う。

皿うどんは麺がパリパリしていておいしかった。なんか不思議だなぁこうして長崎県民と混じって皿うどんをパリポリ食べていて、でももう会うこともこの家庭感あふれるお店にも来ることもないの。全てが初めて出会ってまたすぐ永遠に分かれる。でももしかしたら人生はほとんどにおいてそういう感じかも。

 

 

食後にアイスが食べたくなって長崎駅内で購入し、フードコートで食べていたら、隣におばあちゃんがいいかしら、と言って座ってきた。

どうぞ〜と返事しそのままもぐもぐ食べていたら話しかけてくれて、「これから練習に行くの」と言っていた。どうやらおばあちゃんは原爆の被爆者らしく、その集まりで合唱団に入っていてたまに集まって歌ったり学校に行ってお話をしているらしい。実際に被爆者の人に会ったのは初めてだったから、最後に貴重な経験をした。

頑張ってください、またいつか歌聞かせてください。と言って別れた。

 

バス乗り場が分からなくてうろちょろしてたけど、座っていたおばさんに聞いたら親切に笑顔を見せて教えてくれた。ありがとうございますと言って向かうも、途中でさっきのフードコートに購入したおみやげをまるごと忘れてきたことに気づく。

急いで戻ったら無事そのままあって、さっき隣に座ってた別の3人のおばさま方が「あ、戻ってきた〜よかった〜心配してたのよ」と言って笑った。へへへありがとうございます。と返事してバス乗り場へ急ぎ、切符を買って乗車。

 

 

バスの中でうとうとし、少し眠る。普通の道路から長崎空港までを繋ぐ細い道は海と道路の距離が近くて、海の上を走っているみたいだった。

うすく目を開けたまま、ばいばい、長崎と呟いた。ばいばい、青春と学生と、そしてモラトリアム。私はここで経験した景色を、この長崎を、多分ずっと覚えているよ。