まぼろし

美大生の彼を振った後も、結局11月に何回か会っている。芸祭に行った帰りに、川が見たいということでまた電車に乗って多摩川へ連れて行った。

 

駅に着いてローソンであったかいほうじ茶ラテとプリンを買ってから川の近くへ。お酒じゃないところがいいと思う。

川は夜の空と雲を鏡のように反射させていて、なんだか水じゃないみたいだった。反対側の道には車が間隔をあけて同じ方向に向かって走り、時折大きな魚がちゃぽんと跳ねた。水の輪が大きく広がって残る。


2人で土手の上の方に座って川を見下ろしていた。高架線の上の電車がやっぱりいい感じに水面に反射して走り、遠くに遊園地の観覧車が見える。
「ここから見える景色の中でどの光がいちばん好き?」と聞かれて、私は遠くの団地の家の光を指し、彼は高架線の上の白い光と、水面に反射する長くなったり短くなったりする車のランプを指した。日常の中で素通りして見逃してしまうようなものが彼の目には見えているんだなぁ。彼をここに連れてくることが出来てよかった。


寒いから川沿いに少し歩こうということに。歩きながらあんなにいたランニングの人とか自転車で走る人がいなくなって、シルバニアみたいな大きな豪邸に電気がついてるのに人の気配がしなかったりして、怖いよーパラレルワールドに行っちゃうよーとか言いながらふざけて歩く。

端の方まで来たら突然川の流れがカッターで切られたかのようにスパッと切れていて、ここが…多摩川の始めじゃ。とか言って笑ってた。本当は堰か何かなんだろうけど、ここで唐突に川の流れが始まると考えるとシュール過ぎる。

 


じゃあ源流も見れたし引き返そうかということで、来た道をUターンする。帰り道からだと随分遠くの方に電車が見えて、川に反射する街灯の光がキラキラと長く光って見える。「遠いものほど美しく見え、手に届かないものほど綺麗にみえる」と呟き、その後はずっと黙って歩いていた。

さっきまで騒いで歩いていたのが嘘のようにどちらも一言も喋らずに川や足元を見て歩く。向こうがどう思っていたのかはわからないけれど、私は足元の2人の靴とか真ん中で別れた道路の線を見て、今はこうして並んで歩いているけど実はこれからこの道はどんどん遠くなっていって、彼はデザインの世界へ、私は安定した仕事の世界で働くんだろうなあと思った。学生というのは何にも染まらないから誰の側に並んで歩いていても許される特権だよ。

私とよく似た彼は私の男版のようであるからこそ、歩みたかったような道を歩いているもう1人の自分だと感じてしまう。このまま2人でいると私は自分の選択や人生に自信が持てなくなる。目をそらしていた人生に。

 


もといた場所にたどり着き、着いちゃったね。と呟く。夜の静けさの中でこの道が永遠に続いていればよかった。手と手が触れて、どちらからともなく手を繋いだ。

川の反対側で車がぼうっと浮かんで走っていて、水の揺れはなぜか半分だけしか見えなくて、夜なのに空の雲が見えるほど明るくて、現実とは少し違う世界に迷い込んでいた。私の真上にはまた明るすぎる月がいて、何も言わずにこちらを見ていた。


高架線の下まで歩いて行って、電車が通るたびに光を浴びる。真上に、これから帰宅する疲れたサラリーマン達を乗せた明るい電車が走り、そのすぐ真下でごうごうと通り過ぎる音を聞きながら若い2人は小さく抱き合う。映画のワンシーンみたいだと思った。電車が通り過ぎてしまう前にキスしようかと思ったけど、なんとなくやめた。してしまったらいろいろなことが終わってしまうような気もした。

 

手を繋いだまま帰る。途中で黒い袋かと思ったら本物の大きな猫ちゃんがいた。わぁと驚いて笑ってた。
待合室で彼が乗る電車を待っている時も、私の冷たすぎる手を握ったり握り返したりしていた。彼の細くて華奢な手は女の子みたいだ。
電車が来て、私から腰をあげる。ばいばいと悲しそうな顔をする彼。楽しかった、気をつけて帰るんだよ。と会話をして電車に乗る。最後にまたねって言われた言葉には曖昧に返事をし、見送らずにちゃっちゃと帰る私。

 

なんならいっそのこと全てを夢にしてしまいたい

 

生活のメモ

・最近直島にいって、モネの絵を見た。

自然の光が入っていて明るいのに薄暗がりの空間、そこに浮いているようにぼおっと浮かぶモネの絵。究極の美だ、生と死を内包するような。生命が漂っているような空間。

美しいものを見たときに美しいと感じる心をずっと大切にしたい。

 

・太ったため主食を抜いて、糖質オフで豆腐とか白菜ばっかり食べている。

そうすると気づいていなかったけどすごくラーメンとか米を欲している。インスタでもラーメンアカウントをフォローして見てたり、マックとかファミマの高カロリー弁当を検索して欲を満たしている。気がついたときハッとして思わず笑う。

 

ナチュラルローソンと100円ローソンを見てると社会格差…と思う。お金がない人はどんどん安くてカロリーが摂取できるもので不健康になり、お金持ちは自然派志向でどんどん健康になる。グルテンフリー、食物繊維。

私は野菜ジュースの大量摂取と糖質オフをしているくせに潜在的には高カロリー飯を欲している。

 

・学校の図書室で卒論。友達の男の子が「今上のパソコン室でやってる。」とラインしてきたので行くかぁ〜と返事して向かう。

やぁ。と私が声をかけ、そのまま平然と隣に座ってpcを起動する。昔の私だったらこんなこと絶対出来なかったなあ、恥ずかしさと周りの目を気にして。

「私隣にいたら邪魔でしょ?」って聞いて、「いや全然。変わんねーわ」と言わせる。わいのわいの言いつつ、私は途中で用あるからゴメンと言って学校を出る。

 

・バス、女子大生って何考えてるんだろう。と思ってしまう。かわいい~わかる、それなまぁまぁ盛れてんじゃん、これかわいいね帽子なんで似合うの頭が丸いからだよお~とか聞いていてうんざりしてしまった。ばばあとかいう女の子とは友達になれない、、と思いながらそっと目を閉じてバスの揺れに集中する。

 

・老後でも役に立つ趣味は料理。待合室のおばあさん情報。

 

・帰りの夜道、工事現場の黄色いショベルが暗闇で光りながら作業していた。かっこいい。と思って思わずまじまじと見てしまう。

私はいつまでこういう感性を持ち合わせているんだろう。大人になっても同じこと考えて、工事現場の重機とかキリンさんとか、崩しているのか建てているのかわからない剥き出しの建物にテンション上がってしまうのかな。

 

原美術館が閉館してしまうことが悲しい。

あの場所は特別だった。平日のよく晴れたお昼、テラス席で現実から隔離されたような中庭を眺めながら、鳥の声とか木漏れ日の光とか風の匂いを嗅いでゆっくり食事したこと 贅沢で特別だった。

あの風景も思い出になっちゃうんだね

 

青春の終着点

自分の目で見た景色と経験が本物だ、

さわやかな秋の澄んだ空気と頬を撫でる風、視界全てを埋める海の大きさと広さ、どこかで聞こえる船の汽笛の音が町中に響き渡る様子は、実際にその場に立たないと分からない。

 

おじさんに車で案内してもらってる途中、観光地から少し離れて家が多く立ち並ぶ場所で、偶然小さなお神輿が目の前を通った。

行列も2、30人くらいしかいなくて全然大きなものじゃないけど、小さい子供から足袋を履いた青年、何年もやっているのであろう年配の風格あるおじさん達がぞろぞろと、止まっている私たちの車の前を通って坂を登っていく。

 

これはいいものを見た、と思った。

観光者向けにデフォルメされていない、そこに住んでいる人の本物の生活と息遣い。お店の人も手を止めて出てきて、手を叩いたり笑ってる様子を車の後部座席の窓から見ていてなんだか胸がキュッとなった。

 

 

ロープウェイを使わず、おじさんに車で稲佐山の頂上まで連れて行ってもらった。おじさんは私の携帯で写真を何枚か撮ってくれて、明日の約束をして帰った。

 

夜になるにつれてつめたく澄んだ空気、長崎の海と人の生活が見渡せる。人間の営みと対極的な大きくて何もかもを包み込む海。

私はあの穏やかな遠くの海みたいになりたいと思った。もしくはiPhoneでは映らないような淡い青とピンクのグラデーションの空。


陽が沈むまでのほんの一瞬の空と線香花火のように熟れた真っ赤な夕日は、限られた命を燃やしているようで、それが丁度若さの燃えるような日々や混沌と重なった。そこにいる誰もが太陽を見つめていた。
命は誰でも燃えるようだ。


太陽が沈んだのと入れ替わるように瞬く町の夜景。そのあかり全てに人の生活がある。

稲佐山から見た夜景は東京みたいにギラギラしていなくて、宝石みたいに、あるいは星屑みたいにキラキラしていた。

遠くから見たら生活はそれぞれの色で輝いている。人は上から人の生活を眺めて、感動の声を漏らし、写真を撮る。そしてまた山を下り、自分たちもそのあかりのひとつになる。

 

 

車が無いからいけないと諦めていた外海にいけて感無量だった。というかここが一番よかった。「おめえさんは海が好きだもんなあ」と言いながら教会を回ってくれたり所々で車を止めて写真を撮ってくれた。

そしてなにより、遠藤周作文学館から見える景色は天国のようだった。

 

遠藤周作は外海を見て「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」と言ったそうだけど、本当にその通りだと思った。今回のこの旅は全てこの景色を見るために偶然が重なり導かれたようなものだと思った。

港町が見たいという理由で何となく長崎を選んだこと、たまたま一人だったこと、車が無いから無理だと諦めていた外海に偶然出会ったおじさんの車に乗せてもらって来れたこと、館内で誰かが歌う賛美歌が薄く聞こえること、「こんなに水平線が見えるのは珍しい」というおじさんの言葉通り完璧に澄んだ秋晴れと真正面に照る太陽、そしてそこから続くように波に反射し私の方へと伸びる光の道。2羽の鳥が穏やかに宙を旋回し、また遠くへと離れてゆく。

 

すべてがあまりに完全かつ完結していて、帰りの飛行機で私は死ぬんじゃないかとすら考えた。光に包まれ、賛美歌が聞こえる部屋の中でひとり、天国に一番近い場所があるとしたらこの長崎だと思った。

 

 

最終日は空港までのバスを待つ時間、駅にほど近いけど小さな、地元の人がたくさん来るようなお店で皿うどんを食べた。店内も狭いし店員さんもホールは2人しかいないのにお客さんは常に3、4人並んでいて大人気だな〜と並びながら感心していた。

でもその理由も、すぐに分かった。店員のお姉さん2人はテキパキしていて、でも笑顔は絶やさずいい感じの雰囲気。人で賑わっていて地域に愛されるのも納得する。

 

 
相席でいいよっておばあさんが言ってくれて隣に座る。おばあさんの足元に置かれたスーパーの袋からはさっき買ったであろうネギと納豆と食パンが見えて、よく来るんだろうなー。と思う。

皿うどんは麺がパリパリしていておいしかった。なんか不思議だなぁこうして長崎県民と混じって皿うどんをパリポリ食べていて、でももう会うこともこの家庭感あふれるお店にも来ることもないの。全てが初めて出会ってまたすぐ永遠に分かれる。でももしかしたら人生はほとんどにおいてそういう感じかも。

 

 

食後にアイスが食べたくなって長崎駅内で購入し、フードコートで食べていたら、隣におばあちゃんがいいかしら、と言って座ってきた。

どうぞ〜と返事しそのままもぐもぐ食べていたら話しかけてくれて、「これから練習に行くの」と言っていた。どうやらおばあちゃんは原爆の被爆者らしく、その集まりで合唱団に入っていてたまに集まって歌ったり学校に行ってお話をしているらしい。実際に被爆者の人に会ったのは初めてだったから、最後に貴重な経験をした。

頑張ってください、またいつか歌聞かせてください。と言って別れた。

 

バス乗り場が分からなくてうろちょろしてたけど、座っていたおばさんに聞いたら親切に笑顔を見せて教えてくれた。ありがとうございますと言って向かうも、途中でさっきのフードコートに購入したおみやげをまるごと忘れてきたことに気づく。

急いで戻ったら無事そのままあって、さっき隣に座ってた別の3人のおばさま方が「あ、戻ってきた〜よかった〜心配してたのよ」と言って笑った。へへへありがとうございます。と返事してバス乗り場へ急ぎ、切符を買って乗車。

 

 

バスの中でうとうとし、少し眠る。普通の道路から長崎空港までを繋ぐ細い道は海と道路の距離が近くて、海の上を走っているみたいだった。

うすく目を開けたまま、ばいばい、長崎と呟いた。ばいばい、青春と学生と、そしてモラトリアム。私はここで経験した景色を、この長崎を、多分ずっと覚えているよ。
 

長崎

港町に行きたいという理由で、ふらっと長崎にひとりで行ってしまった。

長崎はいいところ。海がある町は空と町の空気が開けていて、また自然と人の営みが調和していて美しい。

 

歩くと至る所に教会があって、坂が多い町だから少し登ると海と造船所のクレーンが見える。

大きな白い船と赤い三菱重工のクレーン。海の濃く深い青と空の穏やかな水色。

町の色と空気が一度に見渡せて、それだけでもう胸がいっぱいになる。コントラストの処理に追いつかない。

 

時折 町中に船の汽笛がボォーッと音と立てて響き渡るこの町が大好きになった。

 

 

面白かったのが、2泊3日のこの旅は1日目に道端で声かけられた全く知らないおじちゃんの車に乗って案内してもらってたことです

 

私が道で写真を撮っていたら、突然車から顔だしたおじちゃんに「そんなとかぁで何撮ってんだァ、あんたどこから来たの」と話しかけられた。

えっと東京からで、さっき午前の便で到着しましたとか言ったら「そっから皆が行くような観光地言ったってつまらんでしょ〜もっとええとこ連れてったるから後ろ乗ってき」

と言われ、いや怖すぎるでしょ…と思いながらも断りきれず、まあ最悪走ってる車から飛び降りても骨折ぐらいで済むか、と思って乗る。


でも話していくうちにおじちゃんは元観光タクシーの運転手で、定年後はこうして何百人も自分の車に乗せて案内してる人だということが分かる。

私みたいな大学生から教授、絵描き、足が悪い人など色んな人を乗せてあげて、代わりにガソリン代千円と後から手紙と写真を送ってもらうことを条件に案内してあげてるらしい。

 

実際おじちゃんのおかげで地元の人が知ってるような安くて美味しいお店とか、行きたかったけど車がないからと諦めていた外海町に行くことが出来てとても運が良かった。

山の上から見渡した水平線は今まで見てきた日本海の海よりも断然広く、向こう岸に何も見えず、太陽を波が反射して伸びる道も遥か彼方から続いていて、本当に天国から道が続いているように錯覚した。

 

外海の教会では「この娘はせっかく東京から来たからオルガン弾いたって!」と言ってくれたり、お店でも資料館でも「説明したって!」といちいち取り合ってくれた。そのおかげで初めは恥ずかしかったけど当初の予定の100倍ぐらい楽しめたと思う。

ほぼ無計画で長崎に来たから、おじちゃんがいなかったら本当に観光地をさらーっとなぞって終わるところだったよ、ありがとう、おじちゃん。

 

車に乗りながらおじちゃんは、親父に捨てられた過去の話とか狩猟の資格を持っている話とかをずっとしてくれて飽きることがなかった。

今日初めてあった人とこうして時間を共有して、1人の人生を聞いている、これが旅のご縁ってやつなんですかね。1人で旅行するの初めてだから分からないけど。

 

後部座席を海に沈んでいく夕日が橙色に染める中、なんだか不思議な感じ、親戚の子供に戻ったみたい。と思いながらうとうとしていた。

 

 

まだまだ書くことがたくさんあるけれど一旦休憩

 

 

 

 

牛しゃぶ

 

卒論を図書館でしていたら同じゼミの仲良しの男と遭遇し、そのまま腹減ったとかいいながら卒論を2人で放棄してご飯を食べに行った。

 

最初は「鍋。鍋が食べたい」と言っていたけど気がついたらしゃぶ葉へ。

ファミリーしかいないしゃぶ葉で、2人で黙々と野菜とお肉を次から次へと鍋に投入する。

そして一通りお腹が落ち着いたところでワッフル(自分で焼ける)をいかにインスタ映えさせるかを競い始める。

二枚焼いて1つを半分に切ってからアイスを乗せ、チョコレートと粉砂糖を掛けお皿をデコレーションし、仕上げにミントがなかったからしゃぶしゃぶの野菜コーナーにある葉で代用する。

民度が低くてゴメンと思ったけど2人でめちゃめちゃ爆笑していた。そうしてお金取れるレベルのワッフルパンケーキが完成する。

 

出来上がったパンケーキをもぐもぐしながら、

「こんなの許されるの学生のうちだけですよ」と向こうが言った。私は「学生でもこの年齢だとギリギリだと思う」と返したけど内心では同意していた。

もうこんな、くだらない事をふざけ通すのがだんだん出来なくなるのかな〜と思って少しだけ悲しくなった。

 

 

私は5年日記をつけているので、後から日記を振り返って見たら去年は麻布の野田岩うな重食べてた。

でもその時よりなんか、楽しいな。お金と料理の美味しさは比例するかもしれないけど楽しさは比例しないかもしれないな。という実感と学びを得た。キラキラ女子にはなれなかった。

 

 

「明日こそ、卒論、やるぞ〜」「朝はやく起きて、やるぞー」「それ完全にフラグじゃん」

とかいいながら駅で別れた。

 

帰り道ラインを開いたら彼氏と美大生の人からラインが来ていてa −と思った。

振っておいて次の次の日くらいには泣くほど笑いながらしゃぶしゃぶしててごめんなさい、と自分で自分に少し呆れた。

日記に書き記しておかないと記憶が上書きされて引き継がれていないんじゃないかとたまに感じる,

 

光のかげ


私に映画を勧めてくれた彼は美大生で、才能があり有名な事務所に就職が決まった。彼のポートフォリオを初めて見た時、「これ本当に君が全部作ったの?」と聞いてしまうぐらい素晴らしいものだった。どこか浮世離れしていて、私はかなりコンプレックスというか羨ましさがあることを自覚している。作品を見てこれどう思うの?とか聞いたり、イタリアで実物の美術を見ること親が建築と服飾の人、凄くいい写真を撮ることとか就職先の青山のオフィスとかそれを特に自慢げに誇示するでもないところとか。羨ましい。私はこれから社会の歯車としておじさん達の中で地味で真面目な仕事をするというのに。
ノルウェイの森というワードが出てきた途端にハッと立ち止まってしまった。並んで歩いている時に毎回前でこちらを見ていた月とか、作品を通して見る光が好きなんだと思うという私の言葉とか偶然立ち寄ったフローライトのお店とか知ってるギャラリーとかblueという題名の海の本が2回全く別のお店で出てきたこととか安藤忠雄とか不意に現れたカテドラル教会とか表参道の人通りがなくて不思議な建物が並んでいる道にもう一度行けたこととかお酒を飲まずに雰囲気のいいカフェに行ったこととか、たまたま美大生と仲良くなって被写体として撮ってもらえることとか秋晴れとか代々木公園とか渋谷ヒカリエの8階から眺める静かな渋谷とか青学と桑沢デザインの学校に侵入したこととかミッドタウンの21_21の前の芝生で風を見たこととか偽物の東京タワーを眺めたこととか、六本木のTSUTAYAで写真集を私が一目惚れして買ってしまったこととか無意識ににこにこしながら隣を歩く彼の横顔を見て思わず手を繋いでしまったこととか、新宿のSuicaのぺんぎんの広場で通り過ぎていく夜の明かりの電車を眺めていたこととか、面接会場だったJRの本社、くらげのように発光したエレベーターが見える東急ハンズ、ガラスに反射して現れた光の階段を見つける彼、そしてその彼を振ってしまったこと、それら全てが運命的だと思った。涙を滲ませた彼の目を見ながら、私はこの人を傷つけるべきではなかった、目が死んでる人が好きなんて言うんじゃなかった、私は彼の目を通して見るきらきらした柔らかな光や懐かしい景色、透き通った鋭い視線が、映し出された世界が、作品が好きだった。私の手で汚してしまったことを、すごく後悔している。そうか、普通は告白してから手を繋ぐのかあとぼんやり思いながら、手順を踏むという行為をすっかり忘れていたこと、そこに手があって繋ぎたかったからという馬鹿げた理由で何も考えず行動してしまったことを反省した。この映画、音楽、好みに合うといいなぁと言ってくれた優しい言葉、小田急線まで帰る時寒いのに手を繋がない2人、帰ってきてからの明らかに以前とは違う温度の傷ついたライン、それら全てに胸が痛んだ。自分で招いた結果のくせに。わたしは、全てを捨てて選べるようなところからは遠ざかってしまった。な
不思議と初めて会った時から自然体でいられて会話がなくても平気だった。彼の撮った写真に映る私はどれも楽しそうで、これは恋してる女の子の顔じゃん、やれやれ、と思った。

通り行く電車の方を見ながら「私がなりたくてなれなかったものを持ってる」って言ったけど、それは本当は間違っていた。そもそもなろうとすらしていなかった。誰も制限をかけているわけではないのに、目を背けて行動していなかっただけ。それを言える土壌にすら立っていない自分は体ごと遠くに放り出されたような気分になった。


 

寝ても覚めても

観ながら凄いイライラしていた。でも帰って来てからずっと映画の内容を考えているうちに、その原因は私と似てるからだろう、そして私はこの女の子と違って全てを捨ててしまえる勇気とか諸々がないからだろうという結論になった。

自分と映画の人物を重ねることが痛いことは分かっている。

 

 

麦に対する思いは爆竹のような恋で、亮平に対する後半からの思いは穏やかな愛だ。


長くて穏やかな夢を見ているんじゃないかとたまに私も思う。

だからこそ、この女の子はぬるく幸せな夢が覚めて、まともなフリが続けられなくなってしまうことをずっと恐れていたんじゃないのかな。

麦が家に迎えに来た時、怯えていたのもそう。

 

明るい世界に生きているまっすぐな人の側にいて、自分もそうしてまともに幸せに生きられると言い聞かせている。

そしてその夢が覚めることを恐れると同時にどこかで深く渇望している。

そういった部分が凄く似ていて、その行為が「自分に酔っていて中身が空っぽ」なのもとてもよく似ている。

 


でも本当に夢で、覚めるのは麦との恋愛の時間だ。

隣にずっといてくれる確かな愛は亮平、それに気がついて引き返して亮平のもとに戻ったのはこの女の子の無意識のズルさと賢さだろう。

 

この映画を教えてくれたのは他のなつかれている男の子だけど、やっぱりもう会わない方がいいなぁ。私は亮平さんのような人と多分ずっと一緒にいることを選ぶ、そしてその事は朝子と違って揺らぐことがないと思う。

 

川と海が効果的に使われていてよかった。

 


余談だけど一緒に観ていたお母さんに、唐田えりかとあんたは姿と雰囲気が似てると言われた。あんなに可愛くないが確かに手と足の感じが同じ…